こんにちは。山縣良和と申します。
僕は鳥取で生まれ育ち、高校を卒業するまで暮らしていました。今はファッションレーベル「writtenafterwards」の活動と、ファッションを学ぶ学校「coconogacco」を主催しております。
今は10月3日、深夜0時を回ったところです。ようやく涼しくなってきた今日このごろ、今にも雨が降りそうな東京の下町から手紙を書いています。
僕は子供のころ、全くと言っていいほど本が読めませんでした。僕があまりにも本を読まないので、寝る前に母親が本の読み聞かせをしてくれていたのを覚えています。
そもそも僕は勉強が苦手でした。特に漢字を覚えるのが大の苦手で、漢字ドリルで何度も何度も勉強したのにも関わらず、漢字のテストは散々なものでした。漢字に限らず、どうも僕の脳は小さな枠組みに線や点が入り組んで構成される構造体や記号を記憶するための脳の部位が、なんらかの形で未発達なのかもしれません。
そのような子供時代でしたので、答えが一つだったり、ルール通り、説明書通りにおこなわなければならないことが苦手で、逆に自由に考えられたり、妄想を膨らませたりすることに自然と興味を持ちました。今、学校で講師をやっていると思うと、当時の僕からすると本当に信じられないでしょう。
そんな大の勉強嫌いだった僕が小学校の高学年の頃、物理学者アルベルト・アインシュタインをテーマにしたドキュメンタリー番組『アインシュタインロマン』というテレビ番組を食い入るように見ていました。もちろん相対性理論など、子供の僕にとってはチンプンカンプンな内容で、ほとんど全くと言っていいほど理解できていなかったですが、ただただその壮大な宇宙の世界観に圧倒されていました。子供の頃の僕にとって、宇宙や星は妄想が果てしなく広がるワクワクの象徴そのものでした。
「近頃、星になにを読んでいらっしゃいますか?」という問いを今の自分にも問いかけてみたのですが、子供の頃の自分と今の自分を繋げる感覚があります。
僕は東京に住み始めてから早10数年が経ちました。初めて住んだ場所は新宿で、ビルの隙間から少しだけ覗かせる存在感のないうっすらとした星になんだか寂しさを感じていました。そして少しずつ星を意識しなくなっていきました。
どうも僕は近代的なビル群や街並みはあまり肌に合わないようです。
何度か引っ越しを繰り返し、今は東京の東側、谷中に住んでいます。谷中は上野に続く少し高い丘になっており、空襲被害に合わなかった場所として、今でも下町情緒溢れていますし、神社仏閣の多い場所で低い建物ばかりです。家の近くには谷中霊園があり、広い空間が広がっており、空が抜けています。
先日、久しぶりにイタリアに行く機会を得ました。イタリアの中央部に位置するサント ステーファノ ディ セッサーニオという小さな村に伺いました。19世紀の街並みが残る場所で、人口流出が激しく、最近までは廃墟間近だった村ですが、その街並みを保存する動きが起こり、その村で古くから営われてきた風習や、文化、食事などの研究を行いながら、観光客はそれらを味わうことができるという場所で、近年注目されているアルベルゴ・デフューゾ(分散型の宿)で世界的にも有名になった村です。
僕はどうしてもその村を体験したく、限られた時間の中、弾丸で行ってきました。丘の上にあるその可愛らしい古村はなんとも心地よく、村から周囲を眺めると周りはただ遠くまで広がる丘で、その上には青々とした空が果てしなく広がっていました。
僕は、古い街並みが残りつつ、空が広く見える場所をいつも求めていました。それは紛れもなく、鳥取の古い街並みが残る立川で育った影響なのだと思います。子供の頃当たり前だった風景は、知らず知らずの内に心に染み込み、大人になってからもじわじわと滲みでる感覚なのかもしれません。
心の中と同様に、そのような空に意識が届き、妄想の果てに連れて行ってくれる場所は、これからも変わらず存在して欲しいと願っています。
そんな場所であなたは近頃、星になにを読んでいらっしゃいますか。